工務店として、先代小川富藏によって創業いたしました。創業年は1930年頃と推測されております。
鎌倉市内に数多く家を建て、工務店として営業し、仕事時には牛車を使い、金沢八景から材木を運搬し、家を、時には家具を作ったり営んでおりました。
近所の人、各職方からも「おとみさん」と慕われていたようです。
ときは第二次世界大戦。
軍事工場へ富藏は近隣住民と同様に手伝いへ行くことになりました。「富藏」に限らず、近隣の多くの人が軍事工場へ行って手伝いをすることで出征を免除となっておりました。
しかし、お客様からの仕事依頼が多く、近隣の困っている人を見捨てられない気持ちから、富藏は軍事工場を辞めて仕事へ戻ることに。
しかし、仕事を再開したところで赤紙が届き、満州へ出征。
終戦3ヶ月前、富藏35歳は満州で戦病死。戻ってきたのは戦地で持ち歩いていた鞄が一つのみでした。
その時、二代目「祐吉」はまだ3歳。
富藏が営んでいた工務店は廃業となりました。
工務店復活を胸に富藏の妻、「なか」が青森県人の不屈の魂で鎌倉市内をリアカー行商をし、厳しい戦後の状況のなか、一家を支えました。
月日も過ぎ、二代目「祐吉」が成長。
修行後、小川建築として復活した鎌倉の工務店です。
鎌倉市内にはまだ30センチ角の柱を使った、数件の富藏作の家が点在しております。
また、現棟梁「祐吉」が手がけた仕事は神奈川県内はもちろん東京、山梨に現存しております。
鎌倉市内に数多く家を建て、工務店として営業し、仕事時には牛車を使い、金沢八景から材木を運搬し、家を、時には家具を作ったり営んでおりました。
近所の人、各職方からも「おとみさん」と慕われていたようです。
ときは第二次世界大戦。
軍事工場へ富藏は近隣住民と同様に手伝いへ行くことになりました。「富藏」に限らず、近隣の多くの人が軍事工場へ行って手伝いをすることで出征を免除となっておりました。
しかし、お客様からの仕事依頼が多く、近隣の困っている人を見捨てられない気持ちから、富藏は軍事工場を辞めて仕事へ戻ることに。
しかし、仕事を再開したところで赤紙が届き、満州へ出征。
終戦3ヶ月前、富藏35歳は満州で戦病死。戻ってきたのは戦地で持ち歩いていた鞄が一つのみでした。
その時、二代目「祐吉」はまだ3歳。
富藏が営んでいた工務店は廃業となりました。
工務店復活を胸に富藏の妻、「なか」が青森県人の不屈の魂で鎌倉市内をリアカー行商をし、厳しい戦後の状況のなか、一家を支えました。
月日も過ぎ、二代目「祐吉」が成長。
修行後、小川建築として復活した鎌倉の工務店です。
鎌倉市内にはまだ30センチ角の柱を使った、数件の富藏作の家が点在しております。
また、現棟梁「祐吉」が手がけた仕事は神奈川県内はもちろん東京、山梨に現存しております。
| 会社名 | 小川建築 |
|---|---|
| 代表者 | 小川祐吉 |
| 所在地 | 神奈川県鎌倉市笛田 |
| 連絡先 | 0467-31-2083 |
| 許認可・資格等 | 神奈川県知事許可、2級建築士、1級建築大工技能士、職業訓練校指導員、応急危険度判定士、住宅リフォームエキスパート、国土交通省住宅リフォーム事業者団体登録、建築防災協会耐震診断施工技術者、住宅省エネルギー設計施工技術者、住宅医講習修了生、DIYアドバイザー、損保鑑定人、神奈川県優秀技能者、鎌倉市優秀技能者 |
| 事業内容 | 新築工事 増改築工事 耐震工事 左官工事 電気工事 建具工事 ガラスサッシ工事 エアコン工事 給湯器工事 クロス工事 屋根工事 塗装工事 防水工事 水道工事 外壁改修工事 外構工事 タイル工事 ハウスクリーニング(新築工事後、リフォーム工事後に限る) |
| 主要取引先 | 設計事務所(1事務所)、材木問屋(2社)、設備問屋(5社)、金物問屋(2社)、 塗料問屋(1社)、防水工事業者(1社)、クロス工事業者(1社)、 塗装工事業者(1社)、サッシ工事業者(1社)、建具工事業者(1社)、 屋根工事業者(1社)、水道工事業者(1社)、瓦斯配管工事業者(3社)、 外構工事業者(1社)、外壁工事業者(1社)、鉄骨工事業者(1社)、 エアコン設置工事業者(1社)、電気工事業者(1社)、足場業者(1社)、 基礎工事業者(1社)、地盤工事業者(1社)、地盤調査業者(2社)、 解体工事業者(1社)、産廃受け入れ業者(1社) 材木問屋1社、瓦斯工事業社1社を除きすべて神奈川県内事業所です。 |